母を助けなければいけない

ここ一年、私の子どもたちの登校班の付き添いをやっています。去年は自分の子のために、今年は登校班の新一年生の子のために付き添いを買って出ました。

双子の娘の方は、何かに没頭することが好きで、急いで何かをすることが苦手です。人の前で発表するのも苦手。学校はボーっとできないので苦手なようです。
去年はコロナで6月から学校が始まり、子どもたちの登校班では私がずっと付き添いをしました。その時から、登校中の娘の「学校や~だ」は続いています。

二年目に突入しても、娘は毎日「学校や~だ」が止まらないんです。
昨日の朝、私もいよいよ我慢ができなくなって、娘に質問攻めをしました。学校行く・行かないに言及。もともと感情を言葉にすることが難しい子なので、私自身、これはもういじめとしか思えないわけです。でももう感情が止まらない。我慢できなくなっていました。

それで、考えてみたのです。どうして私は、こんなに腹が立つのかと。

そうしたら娘の「学校やーだ」は私にとって、母の「愚痴」だったのです。そしてそれを聞くと私は、

”母を助けなければいけない”と思っていたのです。うわ~、母の投影がここでも。と思いました。

もちろん、頭では違うとわかっているんだけど、、、、「母を助けなければいけない」という思いと、「自分は向き合ってきた」という自信が、娘の「やーだ」でフラッシュバックするんです。

実際、母を助けられたか?

助けられていません。だから、助けられていない自分に責任を感じてしまう。

娘は母ではないから、私より弱いことがわかっている。
私が我慢してきた分だけ、母より弱い娘を攻撃することができる。

理性ではわかっているけど、つらいんです。

それで昨日の夜に、娘に自分の気持ちを話してみたんです。
【娘の「学校やーだ」を聞くと、ママは苦しくなる。どうにかしてあげたいと思うようになる。本当に困った時は言ってもいいけど、学校が嫌になる前に、二人で取り組みたいと思っている。】

翌朝、登校班で出かける時、娘は「学校やーだ」と一言も言いませんでした。娘がわかってくれたと思ったら、なんか泣けてきました。

それで、つないだ手をいつもよりギュっとしました。

NLPを知って、良かったと思うのは、違う選択肢を選ぶことができること。
自分が苦しい時に、客観視できるようになったこと。
私の思考がわかること。

無意識に起こしている反応を、気づくことによってやめることができます。

私は日々、進行形です。でも確実に変化を起こしています。


その後…

最近は、子どもの登校班付き添いを減らしました。なんとか行けているようです。先日、付き添いをした時「いきたくな~い」と連呼していましたが、私は苦しくありませんでした。

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