2022年3月17日更新
自分は母からよく放っておかれた
積極的に子どもに関わろうとしなかったわたし
自分自身も仲間や先輩コーチのセッションを受けて、子どもとのイライラが減りました。
私は53歳ですが、6歳の双子がいるんです。
それも、男女の双子で、性格もかなり違います。
子どもが歩き出した頃から、2歳のイヤイヤまで体力的に厳しかったです。
産休は、出産後初めてとった4ヶ月だけで、その後は、ベビーシッターの会社と契約をして、ピアノの仕事をしていました。
夜しか自由な時間がないので、夜遅くまで起きていました。そのせいで疲れが出て、熱が出たり、呼吸器の病気になったり、幾つか病気を発症しましたが、なんとかやっていました。
少し前は、放っておいたことが多かったですね。
わたしが小学生の時、わたしは昼寝をよくする子でした。昼寝をしていたら母はそのまま夕食にも起こされず、夜まで放置されていました。
わたしの育ってきた環境で、寝ているとそのまま放っておかれる、というのがけっこうな回数であったのです。
だから、夫が、子どもたちに昼寝をあまりさせないようにするとか、子どもをお昼寝から起こす時、子ども達は眠くて泣きます。それがわたしには、すごく違和感がありました。
泣かすぐらいなら、寝かしとけばいいじゃない?
と、思っていました。
泣かせるぐらいなら、放っておく。
というのは、後に、子どもを通してわたしが母を見ていたからだとわかります。
今、思い出したのですが
私の父は、私が幼い頃、病気をして寝ていた時、夜、トイレに起こしてくれましたね。私が病気になるといいことがあったのだな~と思います。
子どもの頃に当たり前だったことは大人になっても当たり前
夫婦の違和感は、育ってきた環境の違い・考え方の違いから
子どもの時に身に着けたパターンはあまりにも自然で当たり前すぎるので、気が付かない人がほとんどです。
自分はそれが当たり前だった。でも夫とは違う。
そう思った時には、相手と合わないのではなく「何を大事にしているか」であったり、「何に怖れているか」だったりします。
価値観は、自分が幸せに思うことや肯定するもの
怖れは、自分を守るもの
人の価値観といえるものは、自分を肯定的に見られるものです。
たとえば、わたしなら「ピアノ演奏」ですね。
わたしの母は過干渉ですが、わたしが「ピアノに向かっている時」は、文句を全く言いませんでした。
わたしの中で「ピアノはわたしにとって安全」だととらえていたと思います。
そして、わたしの「怖れ」は、母に立ち向かうこと。
母とケンカをすると、きりがないし、不毛なので、できるだけ離れていよう、と思っていました。
それが、わたしが子どもと距離をとる理由だったのです。
子どものような母ですから、泣いてさわぐ子どもたちを見ると、母を思い出してしまっていました。
子どもを見ているつもりで、わたしの感情は、母を見ていたのです。
わたしがNLPをやっていて、大きな気づきの一つは、わたしの苦しくてつらいことのほとんどは、母への投影からきていると知ったことです。